目録づくりのいいところ
森の図書館 目録研究室から
世の中にはいろいろな種類の書物があるけれど、なかでも重要なものの一つに「目録」がある。ものを集めて並べて示してあるあれのこと。英語なら「リスト」や「カタログ」となるだろうか。
いまではインターネットもすっかり普及して、従来のカタログや目録の類も、ウェブで検索したり眺めたりできるようになっているから、知らないうちに目録を使っていることも多いと思う。そもそもウェブ自体が巨大なデータの集積であり、なにかのカタログであると考えてみることもできる。
かく申す私は目録が好きで、四六時中あれこれの目録を眺めたり、自分で作ったりしている。いまではパソコンで作ることがほとんどだが、コンピュータがいまほど使いやすくなる以前は、ノートやルーズリーフに手書きで目録を作っていた。
例えば、気になる作家や映画監督や音楽家については、なにはなくとも作品リストをこしらえる。いまではちょっと想像しづらいかもしれないけれど、ネット以前の世界では、ある作家にどのような著作があるか、ある映画監督の作品にどんなものがあるかを網羅的に知りたいと思っても、まとまった情報を得るのは簡単なことではなかった。そこで、本や雑誌やチラシなどで断片的な情報に接するつど、ノートに書き足していくわけである。
こうした時間のかかる作業は、いまの目から見ると無駄事に見えるかもしれない。なにしろ然るべきデータベースなりWikipediaをはじめとするウェブサイトなりを検索すれば、手軽にそれらしいリストを得られたりするのだから。また、ちょっとプログラムを書けば、ウェブ上から関連するデータを探し集めて整理する仕事をコンピュータに任せることもできる。いまなら生成AIに命令してリストを作ってもらうという手も使える。
私も急いでいるときなどは、そんなふうにしてコンピュータ任せでリストを得ることがある。他方で、急いでいない場合(つまりほとんどの場合)は、いまでも手作業でリストを作っている。
なぜそんな手間のかかることをしているのか。いくつか理由がある。
ひとつには、自分の記憶の世話に関わる。時間をかけてリストを作ったり、手を入れて世話をする作業を重ねていると、特別努力せずともリストに登場するものや関連する知識を覚えられるから、ということが大きい。これは他人が作っておいてくれたリストを眺める場合との大きな違いでもある。もちろん、誰かが用意してくれたリストも、繰り返し眺め続けるうちには頭に入ったりするだろう。
私は物覚えが悪いほうなのだけれど、コツコツとリストを作る作業を続けていると、いやでも関連するあれこれを覚えてしまうという寸法である。立場を替えて言えば、そうした情報や知識を記憶することに用事がない人にとっては、手作業のリスト作りはやはり意味のないものに感じられるかもしれない。
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ところで、リストにはさまざまな性質がある。例えば、リストが有限であるのは大事な特徴だ。かつて大学生の頃、ルーズリーフに手書きでつくったリストのなかに、大江健三郎の著作をまとめたものがあった。主に単行本として刊行された本と、文庫になったものを年代順に並べた目録で、2枚ほどの紙に収まっていた。
ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、わずか2枚の紙に大江健三郎の全作品の情報が収められて、なんならポケットに入れて持ち歩けるわけで、気分としてはポータブル大江全集がそこにある、という感じが気に入っていた。いまでもコンピュータで作ったリストをプリントアウトして手に取れるようにしているのは、同様の感覚があるためだ。
もちろんリストはどこまでいってもリストに過ぎない。それぞれの作品の書誌を書き並べてあるだけで、作品の中身はそこにないわけだから、作品そのものではない。それでも「大江健三郎がこれまで刊行した本は全部でこれだけある」というまとまった情報は、それらの本を読む可能性を湛えていて、あとはそれぞれの本を探して手にすれば読むこともできるというお膳立てでもある。想像のなかの書棚のようなものといってもよい。
別の言い方をするなら、この世にはどのような本があるのかをリストにして知っておくことで、そのうち読む機会も拓かれやすくなる、という感じだろうか。いまは本を例に述べたが、映画や音楽やマンガをはじめとする各種の創作物についても同様に考えられる。
似たようなことは、ネットの各種のデータベースでも実現できる。ただし、多くのデータベースでは、その全体像が分からないという性質がある。全体がどうなっているか分からないもののなかから、「これはあるかな」と探るという使い方だ。それが拙いわけではないけれど、全体の見通しがないと、私などは少々居心地が悪く感じる。
また、データベースは、検索するつどデータが変化している可能性もある。更新され続けているという意味では便利な一方、訪れるたびどこか様子が変わっている街のようで掴みどころがないという不便な面もある。これと比べると、例えば2枚の紙に書いたリストは、自分で手を加えない限り知らぬうちに変化したりせず、いつでもその全体を一望できる。これは、どちらがよりよいといった話ではなく、それぞれ似て非なるものだ、という話に過ぎない。
というわけで、今日も今日とてリストを作っているのだった。
目録話のつづきは、また今度。

